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今の富士山は浅間山で、古代からの富士山は徳島の高越山です。
Ответитьまなみさんお疲れ様です!続日本紀に奈良時代の噴火の記録がありますが、その時の噴火で富士山周辺の国が滅んでいるなら、その後朝廷に支配され和歌や物語に記録され始めるたのも頷けますね😀
Ответить勝手な妄想なので根拠はありませんが、
初めは記載されていた(又はあえて書かなかった)と妄想しています。
当時、世界的に海洋文明で行き来があり、日本北半分に行かないとは思えません。
現在の茨城・千葉あたりには古代からの神社とされる建物が確認できていること、麻が全国に
普く広がったことなどから、少なくとも存在は認知しており、記載することが考えられます。
ではなぜ記載がないか?諏訪湖あたりで産出する黒曜石が取れる場所を教えたくなかったから
ではないかと思っております。側からアクセスされたくなかったから。そんな気がしています。
日本海側からまわって来いという意味でだと思っています。
妄想です。研究している皆さん申し訳ありません。
日本には..元々大陸と陸続きだった昔に..イヌイット族がやって来て国を作っていたのでしょう。
漢の光武帝から..授かった金印には..ハッキリと、漢の委奴の国王 と記されています。
これは..「かんの わの なの こくおう」と読むのでは無く..「かんの 委奴(いぬい)
(っと は無声音で..記載されていませんが.)のこくおう」と読むのが正しいと思います。
ですから..3~4世紀にも..イヌイット族の強大な国が.富士山の辺りには..有ったので無いの
でしょうか?それ故..記紀には..金印も..卑弥呼も富士山も 登場しないのだと思います。
難しく考えすぎですw
昔の人達がただの山である富士山に興味が無かっただけです。
当時は大自然が当たり前、高い山なんて腐るほどアチコチにあったので、注目される理由なんて無かったからです。
不二高天ヶ原王朝ですね。
火山岩の下に眠ってしまった遺跡を調べる術はありませんが…
歴史に詳しい方なんですか?
Ответить世界遺産の場所は?
Ответить日本の歴史を更新している存在は?
Ответить富士山は当時、日高見国の領土だったから古代を記す文献には登場しない
Ответитьそもそも文献というものは偏見に満ちているし、真相と歴史はイコールではないからね。なので、よく賢者は歴史で学び、愚者は景観で学ぶというが、これは逆で、経験こそが真の研鑽であり、歴史に学ぶ者こそしったかぶりをする遇者ということが真相ではないと思う。なぜなら、支配するものが記紀のような文献を残すのであって、真相の歴史ではないからである。
Ответить経験で研鑽し賢者になることこそが人間本来の努めのはず。それ以外の理由はないだろう。
Ответить記紀が作られた頃の日本って奈良県くらいだったのでは?だから九州の邪馬台国も外国だから記紀に載らなかったと思う。
Ответить富士山そのものが
巨大なUFOだから
そもそも名前が違っていたのでやむを得ないでしょう。日本は富士山王朝と言っていいですが、宮が山から下りてから、噴火などで祟りとか言われて廃れて行ったのだと思います。もともとは「アサマヤマ(浅間山)」「ハラヤマ(蓬莱山)」などと呼ばれていました。金正恩が富士山系であると報じられた事がありましたが、知っている人間は知っているという証だと思いますね。彼の母親は大阪に居たのだから、六甲山系だろと言いたいですがw。
Ответить竹取物語には名が残っているだけに、より不思議さが増します。
Ответить古代日本列島はフォッサマグナの大地溝帯で左右の列島に分離していたのは地質学的に明らかです。それまで富士山は存在しませんでした。この左右の列島が地殻変動で衝突し、その衝撃でフォッサマグナにアルプスの山々が形成され、その最高の山が富士山だったのですが、今よりももっと標高が高かったようです。
Ответить記紀の編纂がそれ以前に存在した古文書からのものとこの動画では述べられていますが、古事記最初に「聴き取り」を行なってそれを口述筆記したと記述されているので、もうそもそも根拠が間違えではないか?
また古事記は上中下巻の3部構成の膨大量が存在するので、その編纂作業が一人の編纂者で完結させられるとは考えない。朝廷内の文官が複数人数従事していたはず。その文官達はネイティブレベルの漢語を習熟していたのである。
記紀の日本書紀は中華の大国向けに編纂された当時の朝廷による「日本の国と歴史紹介文書」である。きちんと漢語を理解している者が介在しなければ成立までに時間がかかってしまう。さほど人の寿命が長くはない時代、作業をする者の寿命も含め、効率を考えれば漢語を幼い頃から学ぶ事が可能だった「中華渡来人系子孫の文官」に依存するしかなかったのです。そしてこの文官達は、自分達の祖先が先住民で野蛮で下等であるはずの縄文人達に抑えつけられていた歴史を代々親から聞かされており、どこかに「復讐への遺恨」を抱いていた事につなげ、朝廷内の権力闘争も相まり縄文人系の官吏をできるだけ排除する事への「正統」を創り出したのです。
そのための出雲からの国譲りであり、諏訪の追放、鹿島の左遷、穂高の移転、熊襲と吉備の討伐なのです。
魏誌や隋書にも登場しないですね。隋書に阿蘇山は登場しますが。日中共通して東海以東の認識が希薄というのはあった。単に政治の中心ではなかったということだと思ってた。
Ответитьあほくさぁ~。大和王権の勢力圏外だからだよぉ。そもそもが海洋民族である日本列島の地に在る者が大和王権の勢力圏内に在る者だけと決めつけて考えること自体があやまりだろう。航海能力のを持たない大陸の民じゃないんだから。海流に乗れば太平洋に面する沿岸部から孤島、点在する島々に在ることができるんですよ。黒潮に乗れば東は鹿島灘、親潮を辿れば北海道、東北沿岸、鹿島沖。千島アリューシャン列島、アラスカに至る沿岸に在ることさえができる。
対馬海流に乗れば朝鮮半島南岸、日本海沿岸を北上、北陸、東北沿岸北海道西岸から樺太に至る。
金づちで、泳ぎを知らない大陸民族には無理だよねぇ~。
遠洋航海術にしてもそう。大陸内陸部で獲物を追いかけ狩猟して生活していた狩猟民族にはないもの。
そんな航海術を持った者がほかの地にいないとも思うか?熊野灘にさえ辿り着てるのだよ?その先に行っているいないと思う方が無理あるでしょ。
遠州の沿岸、伊豆半島で大きな湾を形成する駿河の地に海洋民が居着き、集落を形成しないと考えるのがおかしいでしょ。
伊豆半島に沿って移動、沖合の海流に乗って相模湾、東京湾に辿り着いてもおかしくはないでしょ。
記紀は東は名古屋あたりまでが勢力範囲・姻戚縁戚関係にあって知り得た範囲と考えるのが妥当でしょ。
知らぬものはわからん。。。だから書き記されていない。それだけのこと。
どこぞの国の絵空事、空想架空のことを書き記す・遺すしにしてもその話の素になる事実・出来事があったということ。
無から有・実は生まれない。
最新の物理学で明らかになったでしょ。空ーくう・からーと考えられてた宇宙空間は素粒子や元素で満たされてる空ーからーではない空間だと。
それに記紀では、われわれの祖先・始祖を産み出した高位の神の存在をしっかり示唆してるでしょ。
信仰宗教に実証・検証・証拠で成立つ科学物理が追いついてきた。
天之御中主神等々の神々。大和王権の勢力下に追わす神ですら何柱居られると考える天皇のさらに上位に在るものとして。
同様に大和王権勢力外の日本の地に在る一族郎党の信仰崇拝する神々を加えて考えるどうよ。まさに<八百万の神>と表現するだけの信仰崇拝するに在る神々が存在することになる。
白村江の戦いをした王朝と、以降の王朝が違うのですよ。
大伴は、白村江の戦いをした王朝の臣僚だったのでしょう。
万葉集は、平安時代でも訳せなかった歌集ですしね。
昔は関東と関西が別の島で地軸移動により2つの島がぶつかりその時に富士山が出来たと言う説がありますね。
Ответить考えられることは、其処までヤマト朝廷の力が及んでなかったから。
800年代に入ると浅間神社が建てられたりしてます。
ヤマトタケルの東国征討が702年頃ですから、、
徐福は不老不死の薬を求めて日本に来た訳ですが50人の男子、50人の女子を引き連れてきたという。その子孫の1人が山中湖湖畔で製材屋さんを営んでいます。
薪ストーブ関連の方は一回はお世話になってるはずです。
彼らも歴史を持っているようですね。
そもそも記紀の内容の元ネタが日本じゃないのでね。中東〜中国あたりを通って日本にたどり着いた民族が受け継いできた伝承と、途中で起こった事象がベースとなっている。しかも富士山は日高見国の領地内だったしね。
Ответить茨城県鹿島市に高天原の地名は在る
徐福は現在世界的に失われたユダヤ10氏族の中の一氏族と認定される姜族の出自で在り秦の始皇帝、政はアナトリア地方より東征したヒッタイト人の末裔
シュメールに於いてはヒッタと呼称され中国大陸ではハッタ⇒ハタと呼称変遷しハタを当て字で「秦」とし漢読みで「シン」となる
出雲口伝ではテロリスト扱いされた徐福も宮下文書では機織りや農業政策を伝え従事した人物とされる
一説では皇族の祖こそが徐福だと主張する学者も存在する程
一方出雲口伝では徐福は秦国より同行させた海童達を使い出雲第八代国王八千矛と副王小彦名暗殺後に謀略が出雲族に露見し秦国へ逃げ戻り数年後に九州地方より再度上陸し名を"火明"と変えたとの記述
姫(天皇姓)の一族の祖がテロリストなのは都合も悪かろう
火明は後付けで邇芸速日とも呼称され大年とも呼称されるが本名は素戔嗚尊の四男、五十猛が正体
或る考古学的派閥では五十猛は天照国照彦天火明櫛玉邇芸速日命で原初の天照で在り元の伊勢神宮の祖神とも言われる
藤原不比等の国史編纂は大宝律令の発布と漢字の布教が伴います。国分への派遣は朝鮮半島の亡命官僚を遣ったと思われます。
狡猾な不比等は国史を捻じ曲げた張本人です。
古代は不二山と呼ばれていて富士山はずっと後だよ。
Ответить高天原って普通に北関東でしょ
高天原にいた天津甕星それと戦った神が祀られてるんだから
九州には饒速日(徐福)が作った物部軍団がいました。出雲王国の王たちが大和に移り住み中には奈良に行った人もいたので奈良で進軍が止まったのです。
Ответить狗奴国だか日高見帝国だかアラハバキ帝国の領土で観光目的の入国さえできなかったから大和朝廷の奴らは富士山自体を知らなかったんじゃーい!!
Ответить記紀が創られたのは8世紀で8世紀以の資料を参考にして創られた
8世紀以前の資料に富士山が無く知られていなかった
万葉集や風土記が作られた8世紀になって富士山や関東が知られるようになった
8世紀になってやっと大和朝廷の勢力が及んだ
高天原は高千穂ですよ。天岩戸もありますよ。天孫降臨は霧島連山の「高千穂峰」ですよ。富士山がある東国は、蝦夷(えみし)ですよ。ヤマトタケルが東国平定に行ってますよ。その話に富士山も出てきますよ。秩父の宝登山にはヤマトタケルの神社がありまして、ヤマトタケルが休んだ場所とされてますよ。長野の四阿山もヤマトタケルの伝承がありますね。もう少し、地理を勉強した方が良いですね。
Ответить中国もですけど。クニ=集落であって、今のような国家ではないです。そもそも愛知や静岡は、ヤマト族以前に、独自の文化圏であり、出雲とは交易していたようですし。
侵略しに来たんですよね。
成立
🔻…………飽くまで私見です…日本國は……ユーラシア大陸を経由され、インド洋…太平洋等の島々を…航路する際には、地政学上では…重要なぁ役割を演じて居ます…
✤古代の文明は…否定、肯定は出来ない…地政学の点でも…
大和政権成立の歴史を記すうえで富士山には特に記すべき事柄がなかっただけ。
大物主の三輪山とか大和政権成立に関わる神の有られる山とかでもない限り観光ガイドではないのだから単に大きいからとか風景が良いからなどの理由で記紀に書く必要もない。(朝廷が本当に富士山を消したいのなら万葉集や風土記の記述も消させていなくてはならないけど消していない)
ヤマトタケルの東征でも実際に行って山神との戦いがあった伊吹山や実際に経由した足柄山峠は記紀に記されているが訪れていない富士山の記述はないけどそれは不思議でもなんでもない。(記紀には記述がないけど近くを通ったのだからと富士山周辺にヤマトタケルが富士山を眺めたと称する伝説がある場所はある)
ナカノオオエノウジさん、蝦夷討伐、、、
Ответить古代の日本(大和の国)は西日本で、東の方は日の本(日本)という地域で、大和の国が東方を吸収する上で日本の国を名乗るようになったと聞いた記憶があります。
Ответить大和朝廷の頃は、中京地区から東は全て「蝦夷」だったのでは?
Ответить本当は湘南藤沢、は天皇家の都だったが
天皇家の殺人事件があったのでそれを
隠したい殺人で皇位を奪った勢力に
富士、湘南の都はなかったことにされた。
相模風土記も書き換えてわからないようん
にしている。
朝鮮の1、王族が日本天皇に上り詰めたことが
歴史から消し去りたい。
それで富士王朝を消した
神武天皇も聖地から船で大船に上陸した、
伊勢原、大秦野で都を作った。
みんな湘南は景色が素晴らしいので、奈良の都には
行きたくなかった。
教科書では奈良が日本の中心だとおしえているが
洗脳したいだけ。
日本には財務省ような、日本をだめにしたい
勢力でいっぱいだ。
二見浦からも見えるのに神話に登場しないのは不思議ですよね。いい題材になるはずなのに
Ответить思いっきり創作されてる歴史。
こりゃ。お隣の国の歪曲歴史を笑えない😅
西行『風に靡く、富士の煙の、空に消えて、行方も知らぬ、我が思いかな』
Ответить宮下文書はかなり盛った内容なので、すべて信じる訳には行きませんが、富士山麓に富士王朝と呼べる何がしかの勢力はあったのでしょう。その規模は大したものでなかったにしても、誰もが霊力を感じる富士山と一体化しているため、天皇の権威にはマイナスになると考え、とりあえず記紀からは消してシカトしたのかと。
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